桜の名所が多い水海道。
その元祖として「水海道音頭」にもある「八間堀の桜」が挙げられます。
往時の桜は2本が現存していて,毎年誇らしげに花を咲かせます。

実はこの「八間堀の桜」も,過去の水害に関係があったようです。

今回は桜樹記念碑(発災:明治43年,建立:大正5年)について紹介します。
水害そのものの記述はほとんどありませんが,大正時代の橋本町・宝町・諏訪町の青年会の活躍が興味深いです。
場所は水神宮(新八間堀川/明橋,地図)です。

桜樹記念碑【オモテの意訳】

日露戦争の後,水海道の有志みんなで計画し場所をここに選び定めて桜の木を植えた。
これによって,出征した水海道出身の勇士たちの功績を記念するためであった。

しかし明治43年(1910年)に鬼怒川が氾濫し,桜の木も被害を受けて枯れてしまったものが多かった。
人びとはこれを残念に思っていたが,大正4年(1915年)の秋に
大正天皇の即位の御大典が挙行されたので,また有志のみんなで計画し桜の木をもっと植えて,御大典を記念させていただこうと希望した。

議決するとすぐに青年会員らが一生懸命にその任を務め,十数日で竣工した。

きっと将来,堤防全体に桜花が雲のようにみなぎる時期にここへやってきた人びとは,必ず出征した勇士の功績を胸の中に思い,
御皇室の悠久をお祝い申し上げるだろう。

大正5年4月

桜樹記念碑【オモテ】

桜樹記念碑【オモテ】

桜樹記念碑【オモテ】

記念 碌石

日露ノ役後當町有志相謀リ地ヲ此ニ卜シテ櫻樹ヲ植
ウ以テ役ニ従ヘル當町出身勇士等ノ功績ヲ記念セム
ガ為ナリ然ルニ明治四十三年鬼怒川氾濫シ櫻樹ノ害
ヲ受ケテ枯槁セルモノ尠カラズ人以テ憾トナス偶昨
秋 即位ノ大典ヲ擧ゲサセ給フヤ有志又相謀リ櫻樹
ヲ増植シテ之ヲ記念シ奉ラムト欲ス議決スルヤ青年
會員奮テソノ任ニ當リ旬餘日乃チ工ヲ竣ヘタリ嗚呼
他年満堤花雲漲ルノ節此ニ遊ブモノ必勇士ノ功績ヲ
懐ヒ 聖運ノ悠久ヲ祝シ奉ルアラム

大正五年四月 町長鈴木吉太郎篆額竹軒並書

桜樹記念碑【ウラ】

桜樹記念碑【ウラ】

桜樹記念碑【ウラ】

寄附者連名
青木當吉 鈴木吉太郎 秋山藤左ェ門 皆葉浦之助 五木田金三郎 片見喜太郎 淀名和宇平 黒須小右ェ門 倉持新兵衞 山中彦兵衞 松信新太郎 青木鉄次郎 橋本青年會
寶洞宿青年部會 五本榎誠志團 水海道軍人分會 岡田鍳作 植田みち 秋山信吉 石塚深太郎 飯島清七 服部清吉 西山善吉 西堀藤助 遠上宇一
沼尻貞次郎 片倉大次郎 中島弘三 長塚清兵衞 中村貢 梅澤貞吉 武藤久兵衞 黒須茂八 栗島庄之助 草間治齊 草間善吉 矢島寅吉
森田善次 鈴木冨士藏 五木田卯兵衞 山﨑又五郎 平澤清吉 須田定八 秋塲弥之助 飯塚藤吉 五十畑丹藏 原田平兵衞 冨田芳之助 渡邊岩次
片野多助 竹村茂八郎 田中喜助 髙田福三郎 瀧川常吉 中島熊吉 中村正敏 植田利之助 野田音之助 倉持茂八 増田爲吉 小祝傳七
五木田冨藏 小梶愛太郎 荒井勝三郎 柴﨑重藏 本橋惣兵衞 最上くに 櫻井寅之助 西山藤吉 戸塚庄之助 小島元吉 片岡德兵衞 横田よし
龍池喜助 滝川德三郎 上野午之助 倉持賢太 山中庄太郎 松田亙 五木田七左ェ門 五木田長次郎 荒井作右ェ門 白井庄兵衞 鈴木藤吉

發起人
鈴木吉太郎 青木當吉 五木田金三郎 松信新太郎 飯塚藤吉 明良米吉 片倉大次郎 皆葉浦之助 黒須小右ェ門 岡田鍳作 五木田卯兵ヱ 中島弘三 橋本青年會 五本榎誠志團 寶洞宿青年部會

※1 五本榎≒現在の諏訪町, 寳洞宿≒現在の宝町