たむらだんじょうそれいさい
地域の安寧と子供の健康な成長を願う
毎年5月5日に斎行される田村弾正祖霊祭。この日は「こどもの日」として知られていますが,本来は「端午の節供」や「菖蒲の節供」にあたります。時節の「菖蒲」と「尚武・勝負」をかけて,男子の成長を祝い健康を祈るものとして,広く祝われるようになりました。
また,戦国時代末期に水海道を拠点に活躍した田村弾正が落命した日に近い「武」にまつわる日でもあります。田村弾正を追慕し,その活躍を豊寿き,祭祀が執行されます。かつて命を懸けた水海道の様子を御覧いただき,御神威がますます発揚されるよう,田村弾正の御神霊も御神輿で御巡幸されます。
勇猛な郷土の武将-田村弾正
田村弾正は,戦国時代末期の天正年間に活躍した郷土の武将です。水海道御城(実城)や亀岡台(支城)を拠点に常総地方の諸戦で奮闘されました。城主として,在地豪族層の秋場氏,五木田氏,滝川氏,土井氏,黒鳥氏,冨村氏らと行動を共にし,その所領(一所)の保全に命を懸けた(懸命)まさに「一所懸命」の武人です。
下妻の多賀谷氏と与して,後北条氏の勢力とも対抗しました。福岡の合戦(小貝川福岡堰下流域での舟戦)では,先陣を切り味方を鼓舞しましたが,葦原に潜む敵からの矢によって小貝川に沈みました。眉間に矢を受けても,崩れ落ちたり青息吐息になることなく勇猛な最期であったと伝わります。下流の水海道山田町の川岸には,ふるくから弾正塚と呼ばれる石祠が建立されており,現在に伝わります。
書物によっては,田村弾正左衛門とも記されています。律令制において,「弾正」は監察・警察機構である弾正台の官職にあったものを意味します。「左衛門」は宮城警護の衛門府に由来し,武功や功績のあった武人が授かった官職名です。田村弾正をはじめ,水海道の田村氏はその職名等から三春田村氏(福島県田村地方)の一族と推察されています。
三春田村氏は平安時代の征夷大将軍である坂上田村麻呂の後裔と称される戦国大名でした。水海道という地名が,一説では坂上田村麻呂が馬に水を飲ませた(水飼戸/みつかへと)という故事に由来することもある種の御縁かも知れません。
勇壮で迫力あふれる神輿渡御
毎年,橋本町青年會・弾正睦會のご尽力とともに,各町会・青年會・神輿同好会から多数の助勢をいただき,盛大で威勢に満ちた渡御が行われます。
水海道近隣ばかりでなく関東一円からも担ぎ手がお越しになり,田村弾正の御神霊もさぞやお喜びで御神威はますます発揚されることと存じます。
新緑あふれる爽天のもと,田村弾正に所縁のある水海道各所を御神輿が巡行します。年によっては刺すような日差しで,「田村弾正祖霊祭で夏を迎える」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
各神社の数ある祭典のなかでも,御神霊の御巡幸はとりわけ深い意義を持ちます。普段,社殿から地域と人びとを見守っていらっしゃる神様に,わざわざおでまし願い御神輿で各所を御巡幸いただきます。それぞれの御巡幸の地をとくに見届けていただき,強力に御神力をいただくことになります。
東日本大震災のあとは諸もろの状況から,祭典のみ斎行し御神輿の巡行などが自粛となる配慮が全国的にみられました。各地に先駆けて,田村弾正祖霊祭では本来の意義を尊重して御神輿による御巡幸が行われました。「復興祈願祭」もあわせて斎行し,例年を上回る多くの人びとがご参集されました。
菖蒲と尚武・勝負
菖蒲(しょうぶ)は,奈良時代から端午の節供の髪飾りや薬玉として用いられ,薬草や魔邪を祓う霊草とされていました。鎌倉時代以降は,「尚武」や「勝負」に音が通じるので男子の成長を祝い健康を祈るものとされました。
菖蒲は現在でも漢方薬の一種として用いられます。霊草とされるのは,形が剣に似ていることから病邪を祓うと考えられたからです。菖蒲湯に入ると夏の暑さも丈夫に過ごせると信じられ,菖蒲湯のなかで菖蒲の葉で鉢巻をすると効果が強力になるとされています。実際に薬効成分が含まれており,ふるくからその効用が経験的に知られていたのでしょう。菖蒲湯は香りもよく,リラックス効果もあるのでおすすめです。
軒菖蒲という風習もあります。菖蒲と蓬(ヨモギ)を束ねて軒に挿し,その強い香気で魔邪を祓います。
端午の節句には菖蒲のほかにも様ざまな風習があります。鯉のぼりは中国の故事にちなんで「立身出世」を願うもの。柏餅は新芽が出るまで古葉が落ちないので「子孫繁栄」「家系永続」の縁起があります。
ご案内
- 期日:5月5日(こどもの日)
- 時間:10時00分
- 場所:八幡神社境内 田村弾正祖霊社
- 備考:
- 御奉納金をお納いただいた皆様に,「菖蒲」を頒布しています
- 新暦による祭日のため,毎年,同日の斎行です